手術の際の局所麻酔について
局所麻酔と言いますと、歯医者さんで痛みをともなう処置や抜歯をする際に注射で麻酔をしたり、肩や足の痛みに対してブロック注射をしたりと、一般的にはそのようなイメージかと思います。乳腺外科では、主に使用するのが外来診察で、腫瘍を一部採取する生検の際に腫瘍の周囲や皮膚に注入しています。局所麻酔液を注入すると、その周囲の神経が麻痺して、一定の時間痛みを感じなくなります。
今回はこの液体の麻酔液であるリドカイン(製品名:キシロカイン)を術中に使用して、乳がんの再発が予防できたという論文を紹介いたします。この報告はJournal of Clinical Oncologyという、がん領域では世界的に権威のある雑誌に掲載されました。(Peritumoral Lidocaine Injection: A Low-Cost, Easily Implemented Intervention to Improve Outcomes in Early-Stage Breast Cancer J Clin Oncol. 2023 41(18):3287-3290.)
手術直前、0.5%リドカインを腫瘍周囲に注入してから手術をすると、再発率、生存率ともに約3割改善が得られたというものです。
リドカインを投与してから手術を行う群(LA群)796名と、なにもしないで手術を行う群(non LA群)804名を比較しました。手術から5年後の再発率はLA群で13.9%、non LA群で18.3%(HR: 0.74 95%信頼区間 0.58-0.95 p=0.017)、 亡くなられた方はLA群で10.1%、non LA群で13.8% (HR 0.71 95%信頼区間 0.53-0.94 p=0.019)でした。これは局所再発でも、多臓器への遠隔再発でもともに同様の傾向が認められました。
リドカインの投与方法はweb版の論文に付属した映像によると、全身麻酔導入後、超音波で腫瘍外縁を確認して麻酔液を腫瘍周囲に注入するという方法で、超音波ガイド下に注射針の先端を確認しながら厳密に注入している訳ではなさそうです。非常に簡便な方法のように見えました。
ただ、このような簡便な方法で乳がんの再発が予防できることについて、懐疑的な点も少しあります。第一に局所麻酔薬で乳がんの転移が抑制できる作用について、その理論的背景がはっきりしないことです。これまで基礎分野での研究がほとんどありません。第二にこれまでに同様の報告が全くないことです。乳がんでそうなら、その他のがん種でも同様な効果が得られそうですが、まだ報告はありません。第三にオープンラベルという臨床試験の形式でしょうか。この形式では医師も患者さんもリドカインが投与されたことは知っています。ですので、試験がうまくいくよう、医師は手術時にいつもより大きめに余白をつけて腫瘍を切除したり、患者さんが術後の生活態度を健康的に変化させたりしているかもしれません。ただ、この傾向は乳房温存手術でも乳房全摘手術でも同様の傾向がみられたとのことで、手術時に何らかのバイアスが存在した可能性は低そうです。
また、今回の対照群となったnon LA群では腫瘍周囲に何も注入していません。リドカインを混入しない、同量の生理食塩水を注入して同様の結果が得られていれば、リドカインが腫瘍の再発、転移を防いだとはっきりしたと思います。
リドカインで乳がんの再発が本当に抑制できるのが真実であるならば、それをインドという医療資源の潤沢ではない国の先生方が発想し、臨床試験で結果を出されたというのは賞賛に値すると思います。あとは分子生物学的にもう少し研究が進んで、その科学的背景が明らかになり、今後、他の医療機関からも同様の報告があるかどうか、特に日本で同様の結果が得られたら、日本国内で臨床的に行ってもいいと考えます。